コロナ渦に切迫早産で入院したはなし

子育てのはなし
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今日は1年半ほど前に切迫早産で入院した話です。

切迫早産とは、妊娠37週より前に子供が生まれるいわゆる早産になりかけている状態のことを指します。

これが発覚すると妊婦さんは医師から絶対安静を命じられます。

切迫早産の度合いにもよりますが、絶対安静とは基本的にトイレに立つとき以外は横になっていることを指し、多くの場合入院することになります。

家でも絶対安静できるのでは?と思われるかもしれませんが、家事などでなんだかんだ動いてしまうことを防ぐためと、24時間お腹の張り止めのお薬の点滴をしなければならない(服薬よりも点滴の方が効果がある)ので入院して病院で過ごすことになるのです。

私の切迫早産が発覚したのは34週のことだったので、おおよそ2週間ほど入院することになりました。

切迫早産になる条件はあまり解明されておらず、一度切迫早産になったら次の妊娠時も切迫早産になりやすいなどなんというか体質によるらしいです。

私の母も私を妊娠時に切迫早産で入院していたらしいので、もしかしたら体質?遺伝?なのかもしれませんし、ただの偶然かもしれません。

よく分かんないです。

まあとにかく、コロナ渦に2週間も入院することになったわけです。

入院が告げられたときはもうそれはそれは嫌でした。

子供が生まれるまでの少なくともあと2週間ちょっとはミシンやら縫い物やらで自分の時間があると思っていたのに突然それがなくなったわけですから。

しかしお腹の中の赤ちゃんにとっては1週間でも1日でも長くお母さんのお腹の中にいることが健康に生まれてくるために必要なことですからね、しかたないです。

切迫早産の場合即日入院になるケースも多いようですが、私の場合は診察の日は自宅に帰ることができ、翌日もう1度来てから入院するかどうか決めましょうとのことでした。

しかしお医者さんの口ぶりから察するに十中八九入院になるのは見え見えだったので、本来ならば出産時のために用意していた入院グッズの入ったスーツケースと諸々の手続き要員である主人を携え、翌日病院へ再び向かい、無事入院することと相成りました。

さて入院生活ですが、私が入院したのは今から1年半ほど前、つまりコロナ渦真っ最中です。

面会はもちろん一切許されず、看護師さん経由で荷物を受け渡しすることのみ可能です。

さらに切迫早産での入院ですので、病室もMFICU=母体胎児集中治療室という大部屋の集中治療室に入院になりました。

面会に訪れる人もおらずコロナ対策でカーテンも常に締め切られているため、周りの妊婦さんとの交流も全くなく孤独に2週間の入院生活を送りました。

自室(といってもカーテンで区切られているのみ)の中1人でいる時以外はマスクも原則着用でした。

入院中の1日のスケジュールは

7時 朝の検診、採血(週に2回)

8時 朝食

12時 昼食

~ 午後の検診、入浴(週に3回)

18時 夕食

~ 夕方の検診

21時 消灯

という感じでした。

とにかく看護師さん、助産師さんによる検診の回数が多かったです。

内容はNST(ノンストレステスト)という普通の妊婦さんであれば出産前に数回と分娩中に行う、お腹にベルトで器具を巻き付けてやるあれが1日1回毎日ありました。

NSTには30分から1時間程度かかります。

時間がかかるので事前にトイレに行くことは必須です。

お腹の張り具合を見るらしいのですが、これの調子がよくないとその日は入浴(といってもシャワーです)が出来ませんでした。

他にもハンディタイプの機械で胎児心拍の確認を取る検診が1日2回、朝と夜にありました。

胎動があるので自分でもわかるのですが、お腹の中の赤ちゃんがちゃんと元気でいるかどうかを1日2回も確認してもらえるのはたいへんありがたかったです。

その他の時間は自由時間ですが、絶対安静が命じられているため基本的に立ち歩くことは禁止です。

私は安静度が軽い方だったのでトイレや着替え、週に3回の入浴、電話をするために談話室へ歩いていくことなどはできましたがそれ以外は基本的にベッドの上で寝て過ごします。

この週に3回の入浴というのがなかなか曲者で、先述したようにNSTの結果が良くなければ入浴の許可は出ませんし、2日に1度ではなく週に3回なので2日連続でシャワーを浴びれない日などもあってちょっと辛かったです。

当時髪の毛がめちゃくちゃ長かったのも理由の一つにあります。

入浴できない日や、安静度がもっと高い人は看護師さん介助のもと濡れタオルで体を拭いて済ますことになります。

談話室というのは通話が可能な部屋です。

コロナ渦なので、本来の目的である面会人との談話や入院患者同士の憩いの場として使われることはほとんどなかったです。

病室は集中治療室かつ大部屋なので、インターネットの利用は可能でしたが通話は禁止でした。

なので電話などは談話室で行うことになります。

面会が不可なので通話はよく利用しました。

さて、ここまで書いて意外と快適そうに思われるかもしれない入院生活ですが、切迫早産の入院は点滴を24時間ずっと腕に刺しながら過ごさなければなりません。

入浴時には管は外してもらえますが針は刺さったままなので、24時間×2週間ずっと右腕か左腕には針が刺さっている異物感と痛みが伴います。

点滴もただの点滴ではなく薬の流量を管理する機械がついていて重いですし、この機会がまたポンコツというかなんというか少しの段差で誤作動を起こし四六時中ピーピーエラー音を出します。

エラーが出ると看護師さんに毎度毎度直してもらわなければなりませんし、夜中急に鳴り出すこともあるので隣の部屋ずっとピーピー鳴ってるなあと思いながら寝たことも数えきれません。

また妊娠中あるあるの1つである頻尿が私はひどくて冗談じゃなく1日12回はトイレに行っていたのですが、その際ももちろん点滴の機械をガラガラひきずって往復していました。

さらに貼り止めの薬の副作用として、体の火照りがあります。

これがなかなか大変で、秋とは言えまだまだ暑かった時期なのでシャワーの回数が限られているのも相まって不快感が毎日凄かったです。

看護師さんもそれを分かっているので、大きいアイスノンを渡してくれてそれで体を冷やしながらなんとか過ごしていました。

しかし体が火照ってしんどいのは他の妊婦さんも一緒で、アイスノンの回転率がおいつかない日もよくありました。

つまりナースコールで「アイスノンください」とお願いしても「これしかなくて」と冷え切ってないまだ柔らかいアイスノンしかもらえないわけです。

食事に関しては総合病院のご飯はよく味気ないなんて言われますが、普通に美味しかったので毎回完食していました。

人によっては点滴の副作用で食欲減退、吐き気なんかもあるようなのでその点私は幸いでした。

しかしそのせいかたった2週間の入院で3キロも太りました、どうして…。

差し入れで嬉しかったのはみかんです。

夕食が18時で朝食が翌朝8時なため、この間とにかくお腹が空きます。

ポテチやチョコレートもおいしいですが食べ始めると際限ないですし、点滴の副作用で喉もよく乾いたので段ボールに入った大量のみかんが夜食にぴったりでした。

あとは面会不可でとにかく時間があるのでベッドの上でもできること、私は編み物とゲームを良くしていました。

あとはNetflixやAmazon Primeでアニメを見たり…。

病室のテレビはテレビカードを差して使う、いわゆる課金制なので一度も見ませんでした。

そんなこんなで2週間の入院生活を無事過ごしました。

貧血でふらついたり前躯陣痛かと思われる痛みも1度ありましたが、異常といえばそれぐらいでお腹の中の子供も私も順調に正期産の時期まで持ちこたえることができました。

陣痛が来て子供がうまれたのは退院から1週間ほど経ってのことです。

ああそういえば入院中に出生前訪問と言うNICUのお医者さんとの面談がありました。

出生前訪問とはNICUという未知の施設に生まれてすぐの子供を入院させるのは誰でも不安である、そこを安心してもらえるようにと、NICUに入ることになるかもしれない子供の父母に対して設けられる機会のことです。

その時の話では2300gあれば発達としては一安心ですよと聞いていたので、うまれた子供が2400gちょいでほっと一安心したのですが、どうやら発達の目安と低体重出生の基準は違うらしく…。

2500gなかった子供がNICUに入院することになった話はまた次の機会にしたいと思います。

それでは。

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